浄土真宗の開祖親鸞の伝説をひたすら解説するスレ

    7
    1名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:11:55ID:CUnZ
    前に似たようなスレを立てたんやが、なんか調べたら更に伝説がたくさん出てきたから改めて紹介するで
    普通ではありえない超常的な伝説や、浄土真宗教団の正史では語られない出来事
    そういうちょっと特殊な話を淡々と時系列順に説明するわ
    なお総数が思ったより多くなったので似た話は一つにまとめるで


    2名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:12:15ID:CUnZ
    ?都にいた頃の話
    その1生まれる前に母親が予知夢を見た
    その2初めて喋った言葉が念仏だった
    その3聖徳太子の墓でお告げを受けた
    その4赤山神社で不思議な女性と出会った
    その5比叡山大乗院で如意輪観音からお告げを受けた
    その6六角堂で救世観音のお告げを受けた
    その7親鸞が彫った自分の像が身代わりとなった


    3名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:12:41ID:CUnZ
    その1生まれる前に母親が予知夢を見た
    親鸞が生まれる少し前、母親である吉光女は光が体を三回周り口の中に入る夢を見た
    夢の中でさらに、吉光女の前に如意輪観音が現れ松の枝を手渡し、「貴方に子供を授けるからこれを名前とするが良い。」と言った
    そうした経緯で生まれた親鸞は幼名を松若丸と名付けられた


    4名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:13:08ID:CUnZ
    その2初めて喋った言葉が念仏だった
    親鸞(幼名松若丸)は、生まれてから二歳の秋まで一切言葉を発さず心配されていた
    ある日親鸞は父親の膝の上で合掌し念仏を唱えた
    これが始めての言葉だった
    その他にも幼い親鸞は四歳の頃には土で仏像を作って拝んでいたという


    5名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:13:23ID:CUnZ
    その3聖徳太子の墓でお告げを受けた
    親鸞は十九歳の時に、河内国磯長の聖徳太子の廟に参拝し三日間籠ることがあった
    すると夜、親鸞の前に聖徳太子が現れ残りの寿命が十歳あまりであると告げた
    大阪府太子町にある聖徳太子廟を管理する叡福寺には現在、見真堂という親鸞を祀るお堂がある


    8名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:13:58ID:CUnZ
    その4赤山神社で不思議な女性と出会った
    比叡山で修行していた頃の親鸞が外出していた折、麓の赤山神社を通って比叡山へ帰ろうとすると、女性に呼び止められ「私も比叡山に連れて行ってください。」と言われた
    親鸞は比叡山が女人禁制であるとして断ったが、女性は「人はみな仏の性質を持ち合わせているという事を知らないのですか?それに比叡山には雌の獣や鳥もいるでしょう。」と言って、ふっと消えてしまった


    9名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:14:23ID:CUnZ
    その5比叡山大乗院で如意輪観音からお告げを受けた
    親鸞が比叡山の大乗院というお堂で密教の修行をしていた時、夢に如意輪観音が現れ「汝の願いは満足する。我が願いも満足する。」というお告げを受ける
    このお告げによって、親鸞は六角堂へ参拝する決意を固めたという
    今滋賀県大津市の比叡山延暦寺に現存する大乗院には、7の話の親鸞像が安置されている


    10名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:14:48ID:CUnZ
    その6六角堂で救世観音のお告げを受けた
    その6ア
    親鸞の六角堂でのお告げに関しては二つの話が伝わっている
    一つは二十九歳の時、聖徳太子に法然の元へ行くように告げられた夢
    二つ目は三十一歳の時、六角堂に祀られる救世観音に「どうしても結婚したいなら私が、女性の身となり添い遂げてあげよう。」と告げられる夢である


    11名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:15:04ID:CUnZ
    その6イ
    これに関しては諸々の親鸞の伝記や、大正時代に発見された親鸞の妻の手紙にも、同様の話が残っている
    京都府京都市の六角堂には現在、道を歩く親鸞の像と、六角堂に籠る親鸞の像が安置されている


    12名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:15:24ID:CUnZ
    その7親鸞が彫った自分の像が身代わりとなった
    その7ア
    親鸞は六角堂でお告げを受けるため、毎晩比叡山を抜け出し参拝していた
    毎晩どこかへ行く親鸞を怪しんだ仲間は、比叡山のトップである座主にこの事を報告した
    座主は点呼のためにある晩抜き打ちで皆を起こし蕎麦をふるまった


    13名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:15:41ID:CUnZ
    その7イ
    するとなぜか山を下りている筈の親鸞が起きてきて蕎麦を食べている
    しかし朝になると親鸞は帰ってきた
    不思議に思った仲間がよく確認すると、親鸞がかつて彫った自分の像の口元に蕎麦が付いていた


    16名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:16:38ID:CUnZ
    その7ウ
    この像は今、その5の話の舞台である比叡山の大乗院に安置されている
    また京都府京都市の法住寺にも同じ逸話を持つよく似た像がある


    17名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:16:56ID:CUnZ
    ?越後流罪から関東へ向かうまでの話
    その7焼き栗を植えると実が三度なる木になった
    その8居多神社で赤い日輪を感じた
    その9神に祈ると一夜にして境内の葦の葉が片方だけになった
    その10竹の杖を逆さまに地面にさすと根が生え逆さまの竹になった
    その11焼き魚を池に話すと生き返った
    その12梅干しの種を植えると八房の花が咲く木が生えた
    その13枝に数珠をかけた桜の花が数珠のように咲いた
    その14穴の開いた榧の実を植えると穴の開いた実のなる木が生えた
    その15川の向こう岸の紙に文字を書いた
    その16念仏を書いた紙をかざすと荒れていた川が静まった
    その17弥彦神社で神と半分ずつ自分の像を彫った
    その18地面を杖で叩くと水が湧き出した
    その19念仏を唱えると沸き立つ池を見つけた
    その20自分の彫った阿弥陀如来像が川を渡してくれた
    その21その20で彫った阿弥陀如来像が川を渡してくれた


    18名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:17:18ID:CUnZ
    その7焼き栗を植えると実が三度なる木になった
    その7ア
    親鸞が越後に流罪となりその道中越前に寄った時の話
    親鸞は船枝という地の民家で休憩していた
    家の人に焼き栗でもてなされながら、親鸞は浄土真宗の教えを問いたが、人々はなかなか信じない


    19名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:17:38ID:CUnZ
    その7イ
    そのため親鸞は焼き栗を地面に植え「もしこの栗が年に三回実を付けたら、私の話は嘘ではない。」と言ってこの地を去った
    しかしてなぜか焼き栗から木が生え、年に三度実を付けるようになったという
    現在この地は福井県鯖江市の三栗山立光寺というお寺の、飛び地境内となっている


    20名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:17:47ID:HusG
    イッチはこの金日成伝説みたいなのを信じるわけ?


    22名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:18:25ID:CUnZ
    >>20
    いいや全く
    ただストーリーとして面白いしこれらの伝説がどういう風に歴史の中で受容されたかを調べるのは最高に楽しい


    26名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:19:42ID:HusG
    >>22
    なるほ
    学者みたいやな


    27名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:20:17ID:CUnZ
    >>26
    まあそういう側面はあるな
    よく学者になれと言われるわ


    23名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:18:52ID:CUnZ
    その7ウ
    また新潟県阿賀野市の焼栗山孝順寺にも同様の話が伝わり、越後七不思議の一つとなっている
    この地で親鸞は老婆から焼き栗でもてなされ、「私の教えが後の世に広まるなら、芽を出し三度実のなる木となれ。」と言って焼き栗を植えた
    するとそこから木が生え、年に三度実を付けるようになったという


    24名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:19:17ID:CUnZ
    その7エ
    更に茨城県笠間市の田上地区に伝わる、田上七不思議にも三度栗の話が伝わる
    興味深いことに田上では、元になった栗の実は、越後(新潟)から親鸞が持ってきたと伝わる


    25名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:19:39ID:CUnZ
    その8居多神社で赤い日輪を感じた
    親鸞は越後に到着すると、まず地元の居多神社に参拝した
    すると親鸞は突然日輪(日の丸)を心に感じてそれを描き、そこに念仏を書き込んだ
    それが日輪名号(日の丸名号)と呼ばれるもので、現在も新潟県上越市の居多神社が所蔵している
    詳細不明ながら、かつては高野山の東根院にも同様の親鸞作日輪名号があったという


    28名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:20:30ID:dY3N
    真宗の正史ではないのか
    真宗が親鸞を英雄化するために伝説化するなら分かるが…
    ほなこういうのってどういう勢力が作ってるんやろ


    31名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:21:59ID:CUnZ
    >>28
    マジレスするとおそらく弘法大師伝説などと同じく聖と呼ばれる宗教者たちや
    彼らは誇張した(というかほぼ出鱈目な)聖人伝説を語って寺院のためにお金を集めるんや
    それ+地域の民間信仰やと思う


    29名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:20:39ID:CUnZ
    その9神に祈ると一夜にして境内の葦の葉が片方だけになった
    越後七不思議の一つ
    親鸞が居多神社で神に、浄土真宗の教えを守ってもらう事を願うと、神社に生えている葦の葉が一晩にして全て片方だけになったという
    親鸞によって葉が片方だけになった葦の話は、栃木県真岡市の姥ヶ池にも伝わっている


    39名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:23:21ID:yjTd
    鸞←ってどういう意味なんやろ


    44名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:24:06ID:CUnZ
    >>39
    曇鸞っていう中国のお坊さんの名前由来や市中国の言葉っぽいな


    40名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:23:32ID:CUnZ
    その10竹の杖を逆さまに地面にさすと根が生え逆さまの竹になった
    その10ア
    越後七不思議の一つ
    親鸞は越後の土地で人々に浄土真宗の教えを説いたが、信じる者がいなかったので、自分の教えの正しさを証明するため持っていた竹の杖を地面にさした
    するとたちまちに根を張り、見事な竹となった


    41名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:23:35ID:HusG
    空海は未だに高野山で生きてるらしい


    47名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:24:56ID:dY3N
    >>41
    毎日飯運んでるらしいな
    引きこもってた時のワイみたいや


    53名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:26:05ID:CUnZ
    >>41
    あれも後付けやで(小声)


    56名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:26:31ID:6cs2
    >>53
    サンガツ


    58名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:27:13ID:CUnZ
    >>56
    後親鸞の肉声が伝わってくる手紙系やな
    消息ってやつ


    46名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:24:31ID:CUnZ
    その10イ
    それを見た人々は親鸞の教えを信じたという
    今でも新潟県新潟市の西方寺にその竹は残っているが、なぜか葉は逆さまに生えているという
    同様の話は各地に伝わる


    51名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:25:09ID:0jUe
    言うて全部適当に言ったことが信じられたくらいなもんやろ


    54名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:26:20ID:CUnZ
    >>51
    まあそういう面もある


    55名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:26:29ID:CUnZ
    その10ウ
    新潟県長岡市の西生寺には、親鸞がさした杖が成長した銀杏の巨木が残る
    長野県長野市の戸隠には親鸞の杖が成長した桂の木があり、東京都港区善福寺には同じく親鸞の杖が成長した銀杏の木がある
    変わったところでは、山梨県富士河口湖町の浜岡阿弥陀堂に、親鸞がさした箸が成長した二本の銀杏がある


    60名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:27:36ID:CUnZ
    その11焼き魚を池に話すと生き返った
    その11ア
    親鸞が焼いた鮒でもてなしを受けた際、念仏を唱えながら焼き鮒を池に放すと、鮒は蘇り泳ぎだした
    その後しばらくその池を泳ぐ鮒には、焦げ目のような黒い模様が付いていたという


    61名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:27:48ID:CUnZ
    その11イ
    また件の池の傍には親鸞が枝に袈裟を懸けた榎があった
    江戸時代にその枝が折れたため裂いてみると、木の中に親鸞と鮒の形の模様がくっきり浮かび上がっていたという
    その木と池は新潟県新潟市の山田神社にある


    65名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:28:58ID:CUnZ
    その12梅干しの種を植えると八房の花が咲く木が生えた
    その12ア
    越後七不思議の一つ
    親鸞が食べた梅干しの種を植えたところ、芽が出て梅の木が生えた
    そしてその花には八つの実がなるという


    66名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:29:18ID:CUnZ
    その12イ
    今も新潟県阿賀野市の梅護寺にその木は残る
    茨城県笠間市田上地区の田上七不思議にも同様の話がある


    67名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:29:34ID:CUnZ
    その13枝に数珠をかけた桜の花が数珠のように咲いた
    その12と同じく越後七不思議に数えられる梅護寺の木
    花が長く房のように繋がっており天然記念物に指定されている


    68名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:29:51ID:CUnZ
    その14穴の開いた榧の実を植えると穴の開いた実のなる木が生えた
    その14ア
    穴をあければ焼き魚や焼き栗同様、そこから何か成長することは本来ないが、木が生えしかも不思議な実がなるという
    越後七不思議の一つ
    伝承によると親鸞がこの地域の領主に招かれて説法した際に、領主から、税として取り立て穴をあけ紐を通した榧の実を施された


    69名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:30:14ID:dY3N
    相変わらず仏僧ニキスレは情報量半端ないな


    71名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:30:34ID:CUnZ
    >>69
    すまんな
    今日は特に詰め込んだ


    70名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:30:18ID:CUnZ
    その14イ
    その中の一つを親鸞が植え、生えてきたのが件の木だという
    新潟県田上町の了玄寺に今も残る


    72名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:30:48ID:CUnZ
    その15川の向こう岸の紙に文字を書いた
    親鸞の教えを信仰していた夫婦がある時、親鸞が旅立つと知って追いかけたが行き違いになって川の両岸で最後の別れをする事になった
    夫婦が形見を欲しがると、親鸞は向こう岸の夫婦に紙を出させこちらで筆を動かした
    すると向こう側の紙に「南無阿弥陀仏」という字が浮き上がった
    今もその紙は、新潟県上越市の浄興寺に残る


    74名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:32:31ID:CUnZ
    ちなこれらの話って研究者によって結構分析されてんねんな
    これに関しては煩雑になるかなあと思って書き溜めてはないねんけど興味ある人がいれなば後でそこらへんも書くわ


    76名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:33:05ID:CUnZ
    その16念仏を書いた紙をかざすと荒れていた川が静まった
    親鸞がある日船に乗って川を移動していると、天気が荒れ川が激しく流れ出した
    船頭が困っていると親鸞は、念仏を書いた紙を船の前に掲げさせた
    すると川はピタリと静まったという
    今でも新潟県新潟市に住む船頭の子孫鈴木家にその紙が残されている


    77名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:33:23ID:CUnZ
    その17弥彦神社で神と半分ずつ自分の像を彫った
    弥彦神社に参拝した親鸞はやおら自分の像を彫りだした
    途中まで彫った時、弥彦神社の神の化身である老人が現れ、「すべての人々が救われる」という親鸞の願いが叶うようにと残り半分を彫った
    この伝承を持つ像は新潟県弥彦村の各地に伝わっているが、弥彦神社の物は現在隣の宝光院に移っているという


    79名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:33:47ID:CUnZ
    その18地面を杖で叩くと水が湧き出した
    その17の弥彦神社の門前には、親鸞が、水を汲みに遠くまで行かなければならない事を憐れみ、竹林の地面を杖で突いて水を湧き出させたという聖人清水が今も残る
    似た伝承は各地にあり、茨木県真岡市の姥ヶ池は、親鸞が地面になにげなくさしていた杖を引き抜いた際に、水が湧きあがってできたという
    また東京都文京区には親鸞が水不足の土地を憐れんで、杖で地面を叩き水を湧かせた伝承があり、甘く美味な事から極楽水と名付けられている
    茨城県笠間市田上地区の田上七不思議には、親鸞が渇いた喉を潤すため、念仏を唱えながら右足を踏みしめた場所に、水が湧いたというふんどめ池がある


    81名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:34:35ID:CUnZ
    その19念仏を唱えると沸き立つ池を見つけた
    親鸞が戸隠権現に参拝した際に、近くで池を見つけた
    親鸞がふと念仏を唱えると池がブクブクと沸き立った
    親鸞は神の力であろうと喜びこの池を念仏池と名付けた


    84名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:35:23ID:CUnZ
    その20善光寺阿弥陀如来のお告げを受ける
    その20ア
    親鸞が信濃の善光寺に参拝した際に、善光寺本尊の阿弥陀如来よりお告げを受け、その姿を模した像を彫った
    それが長野県長野市の本誓寺に伝わる阿弥陀如来像である
    また親鸞が関東の下野にいたころにも、善光寺の阿弥陀如来からお告げを受けた


    85名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:35:31ID:dY3N
    親鸞って神様は信じてたんか?


    88名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:36:27ID:CUnZ
    >>85
    仏とは別の神道とかの神様って意味なら著書にはっきり「仏に仕えるのであって神様には仕えるな」って書いてる


    98名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:40:45ID:dY3N
    >>88
    その点では親鸞ってあんま日本的やないんやな
    空海も最澄も神は崇めてたやろ?確か
    他にそこまで言い切った仏教者っておるんかな
    てか鎌倉仏教の祖師って案外神道信仰は薄い?


    100名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:42:31ID:CUnZ
    >>98
    日本仏教は基本として神仏習合やしな
    浄土宗のお坊さんが書いた本によると法然は「神仏習合を前提とした既存の社会秩序」という意味での神仏習合には否定的やったらしいけど
    一遍とかはバリバリ神仏習合系やね


    90名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:38:17ID:CUnZ
    その20イ
    夢は「善光寺に来れば私の体を分けて与えよう。」と言われる内容だった
    親鸞が喜んで善光寺に向かうと、寺の僧も同じような夢を見ており、約束通り善光寺に伝わる本尊を模した像を与えられたという
    今でもその像は栃木県真岡市の本寺専修寺の本尊として残っている


    91名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:38:34ID:CUnZ
    その21 その20で彫った阿弥陀如来像が川を渡してくれた
    その21ア
    親鸞一行が水かさが増した川の前で立ち往生していた時に、どこからともなく子供が現れ、手を引いて川底の浅い場所を教えてくれた
    一行が川を渡りきると子供は背中の荷物の中に消えてしまった
    不思議に思い背中の荷物を降ろしてみると、例の阿弥陀如来像がびしょ濡れになっていた


    92名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:38:59ID:CUnZ
    その21イ
    このような話は関東にも残っている
    霞ヶ浦である時水の中が光り魚が取れなくなった
    そこで親鸞が漁師たちと湖に網をかけると、阿弥陀如来像が引き上げられた


    93名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:39:15ID:CUnZ
    その21ウ
    その阿弥陀如来像が同じように手を引き浅瀬を教えた話が伝わっている
    現在その像は滋賀県野洲市の錦織寺に伝わる


    94名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:39:32ID:CUnZ
    ?関東での話
    その22鹿島明神を弟子にした
    その23鹿島明神から井戸水を寄進された
    その24夢の中で恐ろしい姿の鹿島明神が出てきた
    その25親鸞が彫った聖徳太子像が浮き上がった
    その26虚空蔵菩薩からお告げを受けた
    その27雨ごいをして雨を降らせた
    その28宿を断った家主を咎めるお告げがあった
    その29幽霊を救った
    その30不思議な力で病を治した
    その31念仏を書いた紙が身代わりとなった
    その32親鸞の下を訪れるようお告げがあった
    その33鳥を沼に放つと島が浮き出てきた
    その34大蛇を救った
    その35牛が寺を建てるのを手伝った
    その36餓鬼を救った
    その37筑波権現の使いに見送られた
    その38手の皮を剥がして念仏を書くと手が元に戻った


    95名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:39:54ID:CUnZ
    その22鹿島明神を弟子にした
    その22ア
    親鸞が常陸国に庵を建て、布教していたころの話
    教えを聞きに集まる人々の中に白衣を着た老人がいた
    老人は親鸞の説く教えに感銘を受け弟子になりたいと言った


    96名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:40:23ID:CUnZ
    その22イ
    親鸞が信海という仏教徒としての名前を与えると、老人は喜んで去っていった
    数日後、老人が鹿島明神の化身ではないかという噂が広まり、訝しんだ神主が社殿の中を確認すると「信海」と書かれた紙があったという


    97名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:40:36ID:CUnZ
    その23鹿島明神から井戸水を寄進された
    親鸞の弟子となった鹿島明神は喜び、神社の近くにあった七つの井戸のうち一つを、親鸞に寄進すると言った
    そして杖で二、三度地面を叩くと突然水が湧きだした
    その井戸は今でも茨城県笠間市の西念寺に残っている


    102名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:43:17ID:CUnZ
    その24夢の中で恐ろしい姿の鹿島明神が出てきた
    その24ア
    親鸞が鹿島明神を祀る鹿島神宮に籠りお参りした時、夜に鹿島明神が赤い体の恐ろしい形相の童子の姿で現れた
    親鸞は「鹿島明神は(穏やかな姿の)薬師如来の化身ですのに、なぜそのような恐ろしい姿をしておられるのですか?」と聞いた
    すると鹿島明神は「この姿で念仏の教えを聞かぬ者を力づくで教えに導き、教えを信じる者は力で守るためです。」と答えた


    103名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:43:40ID:CUnZ
    その24イ
    感動した親鸞はその姿を描いた
    その絵は高徳寺にあったが、この地を訪れた親鸞のひ孫覚如によって描き写された物が、現在茨城県猿島郡境町の妙安寺にある


    104名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:43:56ID:CUnZ
    その25親鸞が彫った聖徳太子像が浮き上がった
    親鸞は鹿島明神から寄進されたインドの香木で、聖徳太子の像を彫った
    親鸞はしばらく近くに住み教えを広めたが、やがてその土地を去った
    その際に聖徳太子像は浮き上がって、親鸞を見送ったという
    現在その像は茨城県石岡市の如来寺に伝わる


    105名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:44:13ID:CUnZ
    その26虚空蔵菩薩からお告げを受けた
    その26ア
    親鸞が下野国にいた際、ある岩の上で夜を明かしていると、不思議な童子が現れた
    親鸞が何者か問うと、童子は「私は虚空蔵菩薩の化身です。この土地に寺院を建てると良いでしょう。」と言った
    そしてインドに生えている木だという柳と菩提樹の種を差し出した


    106名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:44:34ID:CUnZ
    その26イ
    親鸞が訝しむと童子は黙って近くの池の中に消えた
    親鸞が試しに二つの種を植えると一夜で木に成長したので、親鸞はこの地に寺を建てることにした
    それが現在茨城県真岡市にある本寺専修寺である


    107名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:44:52ID:CUnZ
    その27雨ごいをして雨を降らせた
    その27ア
    親鸞が下総国のある村を訪れた際、その村は農作物の不作に悩んでいた
    親鸞が村に着くと毘沙門天が老人の姿で現れ、雨を降らせるよう頼んだ
    そこで親鸞が「天下和順日月清明風雨以災厲不起国富民安」と唱え、更に念仏を数回唱えると雨が降り出した


    108名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:45:15ID:CUnZ
    その27イ
    親鸞がこの地に一晩宿泊すると、夢に毘沙門天が八人の童子と美しい音楽とともに現れ、この場所で教えを説くよう言った
    そこで親鸞はしばらくここに留まり教えを広めた
    現在この場所は東京都江戸川区の浄土宗寺院明福寺になっているが、今でも親鸞が近くの池に映した自分の姿を彫ったという像が残る


    109名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:45:35ID:CUnZ
    その28宿を断った家主を咎めるお告げがあった
    その28ア
    親鸞が常陸国を布教して回っていたある夜、吹雪にあって近くの家に宿を借りれないか頼んだ
    その家の家主は日野左衛門尉頼秋という武士で、金貸しをしていたが取り立てが上手くいかず、ヤケ酒をしていた
    親鸞に頼秋は「僧侶なら外で眠れ」とにべもなく断った


    110名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:45:50ID:CUnZ
    その28イ
    その夜頼秋が寝ていると夢に観音菩薩が現れ、「門前に阿弥陀如来がおられる。この機会を逃せば救われる事は無いぞ。」と告げた
    頼秋が慌てて外に出ると、親鸞は軒先の石を枕に吹雪に耐え念仏を唱えていた
    公開した頼秋は親鸞を家に招きもてなした


    111名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:46:10ID:CUnZ
    その28ウ
    この話は戯曲「出家とその弟子」で知られる
    この話が伝わる茨城県常陸太田市には、頼秋が出家して屋敷を寺にした枕石寺が残り、同寺にはその時の石が伝わる


    112名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:46:28ID:CUnZ
    その29幽霊を救った
    その29ア
    ある時鹿島明神の祀られる鹿島神宮に向かう親鸞は、途中ある村を通った
    その村に住む長島喜八は妻に先立たれたが、妻は残された子供を思う気持ちから毎晩幽霊となってとなって現れる様になった
    喜八は様々な寺から人を呼んで祈祷をしてもらったが、一向に幽霊は成仏しない


    113名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:46:45ID:CUnZ
    その29イ
    困り果てた喜八は親鸞に事の次第を話し相談した
    そこで親鸞は一俵分の小石を集めさせ、お経一字を一つの石に書くやり方でお経を書き記し、地面に埋めた
    すると妻の幽霊は現れなくなったという


    114名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:47:03ID:CUnZ
    その29ウ
    茨城県小美玉市の喜八阿弥陀堂にはその出来事の際に、親鸞が描いたという阿弥陀如来像などが残っており、今も長島家によってお堂が管理されている
    また近くの塚からお経を書いた小石が多数見つかっている


    115名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:47:25ID:CUnZ
    その29エ
    同様の話は茨城県に二つある無量寿寺にも伝わる
    元々無量寿寺は無量寺というという禅寺であった
    ある時この地の領主村田高時の妻が難産で亡くなり、無量寺に葬られるが妻は子供を思い幽霊となって現れるようになり、住職も逃げ出した


    116名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:47:42ID:CUnZ
    その29オ
    そこで親鸞が高時に頼まれ、小石にお経を書いて成仏させたという
    そのような経緯でこの寺は親鸞の弟子が無量寿寺と名を改め、住職となった
    二つあるのは後に宗派争いで分裂したためであり、幽霊の絵を残していた鉾田市の寺は2021年に焼失したが、鹿島郡鉾田町にはもう一つの無量寿寺が残る


    117名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:47:55ID:A74i
    親鸞って割と東国まで来てるんやな


    118名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:52:09ID:zEyv
    >>117
    越後に島流しになったついでで(赦免後に)東国で布教してんねん


    33名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:22:14ID:6cs2
    空海が刺身食べて吐いたら泳いでったん好き


    36名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:22:52ID:CUnZ
    >>33
    死んだ魚が生き返る系もよくある話やな
    塩サバが生き返った鯖大師とか


    82名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:34:43ID:1WOG
    昔のなろう小説やろ?


    83名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:35:11ID:CUnZ
    >>82

    おもろい表現や


    86名無しさん@おーぷん22/11/27(日) 21:35:34ID:CUnZ
    >>82
    反論したいけどできひんw


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    7コメント
    1. 1 まとめさん

      浄土真宗といえば生涯に十回は唱えれば
      地獄を回避できるという南無阿弥陀仏の称名念仏
      念のため唱えておくのはお勧め

    2. 2 まとめさん

      イタコ芸のカルトと大して信憑性は変わらんな

    3. 3 まとめさん

      親鸞は寺の住職になったことは一度もない とか
      彼の布教の地盤は実は関東(北関東) とかいう話なら面白いけどな

    4. 4 まとめさん

      うさんくさいなー

    5. 5 まとめさん

      >その2初めて喋った言葉が念仏だった
      こういうデタラメこくから浄土宗とか浄土真宗嫌いなんだよ
      なんだよ念仏往生とか怠け者の救済
      そんな堕落した宗教あるかよ

      っぱ平安密教(エクスタシー肯定)か禅だわ

    6. 6 まとめさん

      常識で計り知れない不可思議な出来事というのはあるもの
      この逸話の中にもほんとにあった出来事があるかも知れない

    7. 7 まとめさん

      ※5 優秀な人間は放っておけばいい 自分でやっていく
       怠け者だから  救済されねばならんのだよ
       学校の教師なら みんな思っていること

    つかいかた
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